2019年9月6日金曜日

ややこしくなった時は、素朴なことを思い出せば、きっとよくなっていく話

こんにちは。上村です。


学生時代に、学校の先生から、たまにこんなことを言われたことがあります。


「社会に出たら甘くない」
と。


僕は、何となくシラけたものです。


「社会に出たら」って、そんなことを言われてもわからない。


心に響かなかったのですね。


社会がどうかではなく、ピンとこなかったからです。


「社会に出たら」と言われても、学生には学生の辛いことがあります。


学校やクラスが嫌な場合もありますし、勉強で辛いことがあるかもしれない。


嫌な教師がいるかもしれない。(笑)


受験勉強もあります。



学校だって社会生活なのです。


誰の人生も、その時代その時代で、楽しいことや辛いこと、嬉しいことや苦しいことがあります


もちろん、その先生が親切心で言ったのならいいのです。


でも単に生徒に言うことをきかせるためのものなら、言葉が心に響かなくて当然です。


「下心ある言葉」では、誰の心にも響かないもの。


では、どうして「下心ある言葉」がダメなのでしょうか?


そういう言葉は「本質を外しているから」です。


「正しい動機」こそが本質です。


さっきの言葉で言えば、本当に生徒の未来のためを考えて言ったのなら、それは正しい動機です。


でも、本当に考えているなら、もう少し気の利いた言い回しができるものだとは思います。



例えば、こんなこともあります。


「わからないことをわからないと言えない」人がいます。


「わからないと言ったら、怒られるのではないか」
「わからないと言ったら、馬鹿にされるのではないか」

そんな風に考える。


しかし、これも本質を外しています。


だってわからないものはわからないのですから。


怒られようが馬鹿にされようが(実際にそんなことはないと思いますが)、事実はそうなのです。


わかっていないのにわかったフリをしていたら、相手も誤解するでしょう。



職場でもありますね。


厳しい上司に対して、「わかりません」と言えないようなことが。


思わず知ったかぶりをして、後で困ったことになったりとか。



「嫌われたくないから断れない」
という人も同じです。


断るべきことがあれば、断っていいのは当然です。


断れなくて、誘惑のおもむくままに従っていたら、自分が後で困ったことになります。


自分の人生の主催者は「自分自身」です。


我々は、どうでもいいことにとらわれ過ぎていると思うのですね。


「馬鹿にされるのではないか」「嫌われるのではないか」「無視されるのではないか」と、意味のないことを恐れます。


その結果、かえって嫌われるようなことをしてしまう場合があります。


別に自分一人がどう思われようと、たいしたことではありません。


姑息なことばかり考えると、「本質」から遠ざかっていきます。


作戦ばかり考えて、本質を外していることがあります。



人間関係のワザなど考えて、素朴な思いやりを忘れていないでしょうか。


恋愛術など考えて、相手の気持ちをないがしろにしていないでしょうか。




大切なのは、「ワザ」や「術」ではないですね。


もっと素朴なことが大切です。


人間関係も恋愛も、「素朴な思いやり」があればそれで十分です。


それが本質だからです。



「思いやりが通じない相手にはどうしたらいいか?」
と言う人がいます。


でも、それこそが余計な考えではないでしょうか。


通じない相手にばかりこだわって、通じる相手をないがしろにしているから、そういった考え方になってしまうと思うのです。


通じるところに、風を吹かしていけばいいですね。



「本質を大切に」

すべてはそこにかかっています。



・今回のまとめ
「どうでもいいこと」にとらわれてはいけない。
人間関係も恋愛も、「素朴な思いやり」があればそれで十分です。





あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。

今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。

本書には、それくらいの大きな力があります。

あなたの「バイブル」にしてください。



あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。

     1.追いかけるのをやめる
     2.「途方もない愛される力」を実践する

今すぐ、「真理」を知ってください。