こんにちは。上村です。
学生時代に、学校の先生から、たまにこんなことを言われたことがあります。
「社会に出たら甘くない」
と。
僕は、何となくシラけたものです。
「社会に出たら」って、そんなことを言われてもわからない。
心に響かなかったのですね。
社会がどうかではなく、ピンとこなかったからです。
「社会に出たら」と言われても、学生には学生の辛いことがあります。
学校やクラスが嫌な場合もありますし、勉強で辛いことがあるかもしれない。
嫌な教師がいるかもしれない。(笑)
受験勉強もあります。
学校だって社会生活なのです。
誰の人生も、その時代その時代で、楽しいことや辛いこと、嬉しいことや苦しいことがあります。
もちろん、その先生が親切心で言ったのならいいのです。
でも単に生徒に言うことをきかせるためのものなら、言葉が心に響かなくて当然です。
「下心ある言葉」では、誰の心にも響かないもの。
では、どうして「下心ある言葉」がダメなのでしょうか?
そういう言葉は「本質を外しているから」です。
「正しい動機」こそが本質です。
さっきの言葉で言えば、本当に生徒の未来のためを考えて言ったのなら、それは正しい動機です。
でも、本当に考えているなら、もう少し気の利いた言い回しができるものだとは思います。
例えば、こんなこともあります。
「わからないことをわからないと言えない」人がいます。
「わからないと言ったら、怒られるのではないか」
「わからないと言ったら、馬鹿にされるのではないか」
そんな風に考える。
しかし、これも本質を外しています。
だってわからないものはわからないのですから。
怒られようが馬鹿にされようが(実際にそんなことはないと思いますが)、事実はそうなのです。
わかっていないのにわかったフリをしていたら、相手も誤解するでしょう。
職場でもありますね。
厳しい上司に対して、「わかりません」と言えないようなことが。
思わず知ったかぶりをして、後で困ったことになったりとか。
「嫌われたくないから断れない」
という人も同じです。
断るべきことがあれば、断っていいのは当然です。
断れなくて、誘惑のおもむくままに従っていたら、自分が後で困ったことになります。
自分の人生の主催者は「自分自身」です。
我々は、どうでもいいことにとらわれ過ぎていると思うのですね。
「馬鹿にされるのではないか」「嫌われるのではないか」「無視されるのではないか」と、意味のないことを恐れます。
その結果、かえって嫌われるようなことをしてしまう場合があります。
別に自分一人がどう思われようと、たいしたことではありません。
姑息なことばかり考えると、「本質」から遠ざかっていきます。
作戦ばかり考えて、本質を外していることがあります。
人間関係のワザなど考えて、素朴な思いやりを忘れていないでしょうか。
恋愛術など考えて、相手の気持ちをないがしろにしていないでしょうか。
大切なのは、「ワザ」や「術」ではないですね。
もっと素朴なことが大切です。
人間関係も恋愛も、「素朴な思いやり」があればそれで十分です。
それが本質だからです。
「思いやりが通じない相手にはどうしたらいいか?」
と言う人がいます。
でも、それこそが余計な考えではないでしょうか。
通じない相手にばかりこだわって、通じる相手をないがしろにしているから、そういった考え方になってしまうと思うのです。
通じるところに、風を吹かしていけばいいですね。
「本質を大切に」
すべてはそこにかかっています。
・今回のまとめ
「どうでもいいこと」にとらわれてはいけない。
人間関係も恋愛も、「素朴な思いやり」があればそれで十分です。
あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。
今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。
本書には、それくらいの大きな力があります。
あなたの「バイブル」にしてください。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。