こんにちは。上村です。
あなたは、時に、他人を「批判的な目」で見てしまうことはないでしょうか?
大きなことから小さなことまで、あるかもしれません。
例えば、職場などでもありますね。
上司や部下や同僚を、批判的な目で見ることです。
「あの人の仕事は、いつも雑だ」
「自分なら、もっと緻密にするのに」
と思います。
しかしその「雑な同僚」が、上司から気に入られているとします。
(上司には見る目がないのか)と、これまた批判的な感情が湧いてくるかもしれません。
「そもそも見る目のない人が上司をしている会社は、どうなんだ」
と職場批判に拡大してしまう場合もあります。
そんな愚痴を、同僚にこぼします。
しかし、中には「愚痴に対して厳しい人」もいるかもしれない。
「それなら、退職したらいいじゃないか」
「そんなわけにはいかない」
「だったら、愚痴はやめるべきだ」
などと言われます。
しかし、単なる愚痴をそんな風に責め立てられたら、ますます行き場がなくなってしまいます。
愚痴くらい大目に見る「度量」がほしいところ。
よく考えてみると、この人もまた、愚痴をこぼした同僚を「批判的に」見ているのです。
ところで、部下がこんなことを言い合っている間に、上司は上司で、誰かを批判しているかもしれません。
「部下にやる気がない」
などと。
学校でもあるかもしれませんね。
友達と「ウチの担任はダメ」と、教師批判をしているかも。
一方教師は、「ウチの生徒は不真面目」と生徒批判をしているかもしれません。
もちろんそれ以外にも、個人的な関係でも、いろいろあるでしょう。
以上、『人生はどうして批判に満ち溢れているのか』というドキュメンタリーです。(そんなドキュメンタリーはありません)
いずれにしても、「批判」はあちこちであるでしょう。
もちろん、重大なこともありますが、その多くは一時的なことに過ぎません。
「一時的に腹が立って言った」みたいなことも多いのです。
確かに、場合よっては「適切な批判」が必要な時もあるでしょう。
しかし、適切な批判ならいいにしても、単なる「否定」になっている場合も多い。
自分ではちゃんとした批判のつもりでも、「単に否定しているだけ」ということがあります。
「批判のための批判」などは、その典型です。
そこには何の発展性もありません。
理性を失ってしまったら、正当な評価などできなくなってしまいます。
そうなれば、結局自分自身も辛くなっていきます。
後ろ向きな気持ちが、自分自身を傷つけるのです。
「粗探し的態度」では、他人も自分も息苦しいだけになってしまうでしょう。
もっと根底に「大肯定精神」を持つべきだと思います。
「大肯定精神」とは、何でしょうか?
「自分の人生を肯定し、他人の人生を尊重し、今を肯定し、未来を肯定する」
そんな精神です。
その上で、「いいもの」「よくないもの」を自分で取捨選択していけばいいわけです。
根底に「楽観精神」を持つこと。
軽薄な楽観ではなく、「しっかりした楽観」です。
根底に「人生を肯定する気持ち」「人を思いやる気持ち」があるならいいのです。
それがまさに、大肯定精神です。
つまらない批判に、右往左往していてはいけないのですね。
根底に大肯定精神があれば、そんなことに一喜一憂しなくて済むでしょう。
・今回のまとめ
大切なのは、人生を肯定すること。
根底に「人生を肯定する気持ち」「思いやりの気持ち」があればいいのです。
あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。
今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。
本書には、それくらいの大きな力があります。
あなたの「バイブル」にしてください。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。