2019年2月5日火曜日

「大肯定精神」で、愛を作る話

こんにちは。上村です。


あなたは、時に、他人を「批判的な目」で見てしまうことはないでしょうか?


大きなことから小さなことまで、あるかもしれません。


例えば、職場などでもありますね。

上司や部下や同僚を、批判的な目で見ることです。


「あの人の仕事は、いつも雑だ」
「自分なら、もっと緻密にするのに」

と思います。


しかしその「雑な同僚」が、上司から気に入られているとします。

(上司には見る目がないのか)と、これまた批判的な感情が湧いてくるかもしれません。


「そもそも見る目のない人が上司をしている会社は、どうなんだ」
と職場批判に拡大してしまう場合もあります。


そんな愚痴を、同僚にこぼします。

しかし、中には「愚痴に対して厳しい人」もいるかもしれない。


「それなら、退職したらいいじゃないか」
「そんなわけにはいかない」
「だったら、愚痴はやめるべきだ」

などと言われます。


しかし、単なる愚痴をそんな風に責め立てられたら、ますます行き場がなくなってしまいます。


愚痴くらい大目に見る「度量」がほしいところ。


よく考えてみると、この人もまた、愚痴をこぼした同僚を「批判的に」見ているのです。


ところで、部下がこんなことを言い合っている間に、上司は上司で、誰かを批判しているかもしれません。

「部下にやる気がない」
などと。


学校でもあるかもしれませんね。

友達と「ウチの担任はダメ」と、教師批判をしているかも。


一方教師は、「ウチの生徒は不真面目」と生徒批判をしているかもしれません。

もちろんそれ以外にも、個人的な関係でも、いろいろあるでしょう。


以上、『人生はどうして批判に満ち溢れているのか』というドキュメンタリーです。(そんなドキュメンタリーはありません)


いずれにしても、「批判」はあちこちであるでしょう。

もちろん、重大なこともありますが、その多くは一時的なことに過ぎません。

「一時的に腹が立って言った」みたいなことも多いのです。


確かに、場合よっては「適切な批判」が必要な時もあるでしょう。

しかし、適切な批判ならいいにしても、単なる「否定」になっている場合も多い。

自分ではちゃんとした批判のつもりでも、「単に否定しているだけ」ということがあります。


「批判のための批判」などは、その典型です。
そこには何の発展性もありません。

理性を失ってしまったら、正当な評価などできなくなってしまいます。


そうなれば、結局自分自身も辛くなっていきます。
後ろ向きな気持ちが、自分自身を傷つけるのです。

「粗探し的態度」では、他人も自分も息苦しいだけになってしまうでしょう。


もっと根底に「大肯定精神」を持つべきだと思います。

「大肯定精神」とは、何でしょうか?

「自分の人生を肯定し、他人の人生を尊重し、今を肯定し、未来を肯定する」
そんな精神です。


その上で、「いいもの」「よくないもの」を自分で取捨選択していけばいいわけです。

根底に「楽観精神」を持つこと。

軽薄な楽観ではなく、「しっかりした楽観」です。


根底に「人生を肯定する気持ち」「人を思いやる気持ち」があるならいいのです。

それがまさに、大肯定精神です。


つまらない批判に、右往左往していてはいけないのですね。

根底に大肯定精神があれば、そんなことに一喜一憂しなくて済むでしょう。



・今回のまとめ
大切なのは、人生を肯定すること。
根底に「人生を肯定する気持ち」「思いやりの気持ち」があればいいのです。





あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。

今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。

本書には、それくらいの大きな力があります。

あなたの「バイブル」にしてください。



あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。

     1.追いかけるのをやめる
     2.「途方もない愛される力」を実践する

今すぐ、「真理」を知ってください。