こんにちは。上村です。
学生時代、学校には、「校則」というものがありましたね。
『遅刻禁止』みたいなことが書かれていたかもしれない。
どうしてそんなことを書いているのでしょうか?
「遅刻は、いけないから」
と思いますよね。
確かにその通りですが、もう少し考えを進めてみましょう。
なぜそんな校則があるかといえば、
「遅刻する生徒がいるから」です。
誰も遅刻をしないなら、そんな校則はいりません。
しかし、生徒だけにそんなことを押し付けるのは不公平。
教員だって、遅刻をすることもあるかもしれません。
僕は昔、予備校で働いていましたが、生徒には「遅刻はダメ」だと言っておきながら、自分は遅刻をしたことがありました。
今、ここで懺悔をしたいと思います。(笑)
それはともかく、大切なことがあります。
つまり、人間は遅刻をする可能性があるということです。
少なくとも、その危険性は、誰にでもあります。
だとしたら、遅刻をした人をそんなに責めてはいけない。
誰でも「遅刻因子」を持っているのですから。
待たされても、心穏やかにしていればいい。
こんなことを書くと誤解されそうですが、もちろん遅刻を肯定しているわけではありません。
誰もが遅刻ばかりしていたら、社会はおかくなっていくでしょう。
これは「心の持ちよう」を言っているのですね。
「イライラしてもしょうがないよ」
ということが言いたいのです。
「遅刻する人はいる」というのも事実。
これらのことがすべて許せないなら、荷物をまとめて無人島にでも行くしかありません。
無人島なら、遅刻問題も起こりません。
でも、孤独ですから、そのうち「遅刻なんかどうでもいいから人と話がしたい」と思うようになるかもしれません。
真面目はもちろんいいことですが、「堅物」はよくない。
遅刻を正すなら、自分が腹が立ったからではなく、相手のことを思ってすべきなのです。
例えば、かつてこんな人がいました。
他人に対して、異常なまでに「完璧を求める」のです。
相手のささいな「矛盾したこと」も許せないのですね。
別にどちらでもいいことも、彼にかかれば「重大な問題」になります。
これでは、周囲は息苦しくて仕方がありません。
本人は「正義感」のつもりかもしれませんが、もちろんこれは正義感とは関係がありません。
当然、彼の周囲からは、人が遠ざかっていったのです。
彼は、「まあ、いいじゃないか」という考え方ができなかったのですね。
最も大切な「寛容精神」を忘れてしまったのです。
確かに、周囲には矛盾したこともいろいろあるでしょう。
でも、彼自身の行動だって矛盾していたのです。
不誠実はダメと言いながら、自分は「人をむやみに追い詰める」という不誠実をしていたのですから。
少しの矛盾も許せないという気持ちなったら、もう行き詰まるしかありません。
そういえば、テレビで、こんな場面を見たことがあります。
ある学校の訓示で、教官が、生徒に向かってこんなことを言っていました。
「自分が正しくなくて、人に正しさを伝えることができるだろうか」
確かにその通りですね。
他人に求めるのではなく、自分に求めることです。
そうすれば「寛容精神」が発揮できます。
たとえ相手が本当に不誠実であっても、それに振り回されてはいけないのです。
振り回されなくなったら、周囲との関係もスンナリいくようになっていくでしょう。
結局そんな人が、相手を「いい方向」に導くこともできるのだと思います。
自分の「とらわれる気持ち」がなくなって、心が広がるからです。
・今回のまとめ
寛容で、心が広がっていく。
そんな人が、相手を「いい方向」に導くことができるのです。
あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。
今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。
本書には、それくらいの大きな力があります。
あなたの「バイブル」にしてください。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。