2019年4月15日月曜日

遅刻に厳しいが、自分だって遅刻をする可能性があるという話

こんにちは。上村です。


学生時代、学校には、「校則」というものがありましたね。


『遅刻禁止』みたいなことが書かれていたかもしれない。


どうしてそんなことを書いているのでしょうか?


「遅刻は、いけないから」
と思いますよね。


確かにその通りですが、もう少し考えを進めてみましょう。


なぜそんな校則があるかといえば、
「遅刻する生徒がいるから」です。


誰も遅刻をしないなら、そんな校則はいりません。


しかし、生徒だけにそんなことを押し付けるのは不公平。

教員だって、遅刻をすることもあるかもしれません。


僕は昔、予備校で働いていましたが、生徒には「遅刻はダメ」だと言っておきながら、自分は遅刻をしたことがありました。


今、ここで懺悔をしたいと思います。(笑)



それはともかく、大切なことがあります。


つまり、人間は遅刻をする可能性があるということです。

少なくとも、その危険性は、誰にでもあります。


だとしたら、遅刻をした人をそんなに責めてはいけない。

誰でも「遅刻因子」を持っているのですから。


待たされても、心穏やかにしていればいい。


こんなことを書くと誤解されそうですが、もちろん遅刻を肯定しているわけではありません。


誰もが遅刻ばかりしていたら、社会はおかくなっていくでしょう。


これは「心の持ちよう」を言っているのですね。


「イライラしてもしょうがないよ」
ということが言いたいのです。


「遅刻する人はいる」というのも事実。


これらのことがすべて許せないなら、荷物をまとめて無人島にでも行くしかありません。


無人島なら、遅刻問題も起こりません。


でも、孤独ですから、そのうち「遅刻なんかどうでもいいから人と話がしたい」と思うようになるかもしれません。


真面目はもちろんいいことですが、「堅物」はよくない。


遅刻を正すなら、自分が腹が立ったからではなく、相手のことを思ってすべきなのです。



例えば、かつてこんな人がいました。


他人に対して、異常なまでに「完璧を求める」のです。

相手のささいな「矛盾したこと」も許せないのですね。


別にどちらでもいいことも、彼にかかれば「重大な問題」になります。

これでは、周囲は息苦しくて仕方がありません。


本人は「正義感」のつもりかもしれませんが、もちろんこれは正義感とは関係がありません。


当然、彼の周囲からは、人が遠ざかっていったのです。


彼は、「まあ、いいじゃないか」という考え方ができなかったのですね。


最も大切な「寛容精神」を忘れてしまったのです。


確かに、周囲には矛盾したこともいろいろあるでしょう。

でも、彼自身の行動だって矛盾していたのです。


不誠実はダメと言いながら、自分は「人をむやみに追い詰める」という不誠実をしていたのですから。


少しの矛盾も許せないという気持ちなったら、もう行き詰まるしかありません。


そういえば、テレビで、こんな場面を見たことがあります。


ある学校の訓示で、教官が、生徒に向かってこんなことを言っていました。


「自分が正しくなくて、人に正しさを伝えることができるだろうか」

確かにその通りですね。


他人に求めるのではなく、自分に求めることです。

そうすれば「寛容精神」が発揮できます。


たとえ相手が本当に不誠実であっても、それに振り回されてはいけないのです。


振り回されなくなったら、周囲との関係もスンナリいくようになっていくでしょう。


結局そんな人が、相手を「いい方向」に導くこともできるのだと思います。


自分の「とらわれる気持ち」がなくなって、心が広がるからです。



・今回のまとめ
寛容で、心が広がっていく。
そんな人が、相手を「いい方向」に導くことができるのです。





あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。

今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。

本書には、それくらいの大きな力があります。

あなたの「バイブル」にしてください。



あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。

     1.追いかけるのをやめる
     2.「途方もない愛される力」を実践する

今すぐ、「真理」を知ってください。