2020年1月4日土曜日

理不尽な目に合った時、怒りをどうしたらいいか?

こんにちは。上村です。


かつて僕は、こんなシーンを目撃したことがあります。


僕が働いていた職場では、夏になると、
「花火大会」が近くで開催されます。


大会は、かなりの規模。

開始時刻になると、人の波で駅が混雑します。


その日は早く帰宅すべき。

しかし僕は、モタモタして帰るのが遅れてしまったのです。


ついでに花火を見てもよかったのですが、
残念ながらあまり関心がなかった。


駅に着くと、「人、人、人」でとても中に入れない。


こうなると仕方がありません。
人が少なくなるのを待つしかない。

僕はそう腹を決めました。


ところが、中には、腹を決めるどころか、
「腹を立てる人」もいるようです。


ふと見ると、ある乗客が駅員につっかかっていました。


「この人手を何とかしろ
みたいな感じで。


そんなことを言われても、駅員さんは困るでしょう。

彼は、花火大会の主催者ではないのですから。


しかし、頭に血が昇った乗客は駅員に食ってかかる。


楽しいはずの花火大会も、
その駅員さんにとってはイヤな思い出になったでしょう。


こういう場合、あなたが駅員ならどうするでしょうか?


「オレのせいじゃない」と言いたいところですが、
仕事ですしそうとも言えないでしょう。


「すいません」と謝るしかない。

誠に理不尽です。


後で自宅に戻って、そのことを思い出したら、腹が立って仕方がないでしょう。


理不尽な目に合うと、情けないやら腹立たしいやら孤独やら、複雑な感情が湧いてくるものです。


その感情をどう処理したらいいのでしょうか?


僕はこう考えます。

「理不尽な目に合わせた人」のことを考えてみるのですね。


その人は「八つ当たり」をしたのです。

さぞかしウップンが晴れただろうと思ったら、そんなことはありません。


理不尽なことをした後は、「後味の悪さ」を感じるものです。


個人的な怒りを責任のない人にぶつけたのです。

一時的な感情の爆発とはいえ、後悔が湧いてくるはず。


決して気分がいいわけではなく、八つ当たりしたことで、不快な感情が倍化したのですね。


たとえ心が曇って意識できなくても、「良心」はそれを知っています。


その場は何ともなくても、長期的に見れば、必ず自分自身を傷つけていきます。


理不尽な行為で一番ソンをしているのは、当の本人なのです。


腹を立てるどころか、むしろ哀れんであげてもいいくらいです。


「どうして自分がこんな目に合わないといけないのか」
と思う必要はありません。


理不尽な行為をした本人自身が、もっとイヤな思いをしているのです。

自分の心を、自分で傷つけたからです。


たとえ今はそれを意識できなくても、必ず意識せざるを得ない時がやってきます。


しかしそれは本人の問題であって、他人が代わりに責任を負うことはできません。


相手の理不尽な行為を気にするくらいなら、自分は理不尽なことをしないようにすべきです。


「傷つけられたこと」はよく覚えていても、「傷つけたこと」は忘れがちなものです。


ひょっとしたら「過去の自分の理不尽な行為」が、今になって反動を受けたのかもしれないのです。


むしろそういった不快な出来事は、積極的に「自分の行動を見直すきっかけ」にしていくことです。


相手の行動が大切なのではなく、「自分自身の行動」が大切です。


そうやって自分から始めていく人こそが、周囲にもいい影響を与えていくことができます。


きっと、「理不尽」という闇を打ち破っていく力を得ていくでしょう。



・今回のまとめ
相手の行動が大切なのではなく、自分自身の行動が大切です。
「自分に求める生き方」には、怖いものは何一つありません。





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