こんにちは。上村です。
かつて僕は、こんなシーンを目撃したことがあります。
僕が働いていた職場では、夏になると、
「花火大会」が近くで開催されます。
大会は、かなりの規模。
開始時刻になると、人の波で駅が混雑します。
その日は早く帰宅すべき。
しかし僕は、モタモタして帰るのが遅れてしまったのです。
ついでに花火を見てもよかったのですが、
残念ながらあまり関心がなかった。
駅に着くと、「人、人、人」でとても中に入れない。
こうなると仕方がありません。
人が少なくなるのを待つしかない。
僕はそう腹を決めました。
ところが、中には、腹を決めるどころか、
「腹を立てる人」もいるようです。
ふと見ると、ある乗客が駅員につっかかっていました。
「この人手を何とかしろ」
みたいな感じで。
そんなことを言われても、駅員さんは困るでしょう。
彼は、花火大会の主催者ではないのですから。
しかし、頭に血が昇った乗客は駅員に食ってかかる。
楽しいはずの花火大会も、
その駅員さんにとってはイヤな思い出になったでしょう。
こういう場合、あなたが駅員ならどうするでしょうか?
「オレのせいじゃない」と言いたいところですが、
仕事ですしそうとも言えないでしょう。
「すいません」と謝るしかない。
誠に理不尽です。
後で自宅に戻って、そのことを思い出したら、腹が立って仕方がないでしょう。
理不尽な目に合うと、情けないやら腹立たしいやら孤独やら、複雑な感情が湧いてくるものです。
その感情をどう処理したらいいのでしょうか?
僕はこう考えます。
「理不尽な目に合わせた人」のことを考えてみるのですね。
その人は「八つ当たり」をしたのです。
さぞかしウップンが晴れただろうと思ったら、そんなことはありません。
理不尽なことをした後は、「後味の悪さ」を感じるものです。
個人的な怒りを責任のない人にぶつけたのです。
一時的な感情の爆発とはいえ、後悔が湧いてくるはず。
決して気分がいいわけではなく、八つ当たりしたことで、不快な感情が倍化したのですね。
たとえ心が曇って意識できなくても、「良心」はそれを知っています。
その場は何ともなくても、長期的に見れば、必ず自分自身を傷つけていきます。
理不尽な行為で一番ソンをしているのは、当の本人なのです。
腹を立てるどころか、むしろ哀れんであげてもいいくらいです。
「どうして自分がこんな目に合わないといけないのか」
と思う必要はありません。
理不尽な行為をした本人自身が、もっとイヤな思いをしているのです。
自分の心を、自分で傷つけたからです。
たとえ今はそれを意識できなくても、必ず意識せざるを得ない時がやってきます。
しかしそれは本人の問題であって、他人が代わりに責任を負うことはできません。
相手の理不尽な行為を気にするくらいなら、自分は理不尽なことをしないようにすべきです。
「傷つけられたこと」はよく覚えていても、「傷つけたこと」は忘れがちなものです。
ひょっとしたら「過去の自分の理不尽な行為」が、今になって反動を受けたのかもしれないのです。
むしろそういった不快な出来事は、積極的に「自分の行動を見直すきっかけ」にしていくことです。
相手の行動が大切なのではなく、「自分自身の行動」が大切です。
そうやって自分から始めていく人こそが、周囲にもいい影響を与えていくことができます。
きっと、「理不尽」という闇を打ち破っていく力を得ていくでしょう。
・今回のまとめ
相手の行動が大切なのではなく、自分自身の行動が大切です。
「自分に求める生き方」には、怖いものは何一つありません。
あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。
今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。
本書には、それくらいの大きな力があります。
あなたの「バイブル」にしてください。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。