こんにちは。上村です。
あなたには、こんな経験はないでしょうか。
道を歩いていると、
自分に向かって手を振って挨拶する人がいる。
でも、顔がよくわかりません。
(知り合いかな?)と思って、こっちも手を上げて挨拶します。
しかしその人が挨拶したのは、
自分の「後ろを歩いている人」だったのです。
こういう時って、バツが悪いですよね。
振り上げた手の行き場に困ります。
髪の毛を触って、ゴマかしたりとか。
意味もなく、顔の運動をしたりとか。
普段から多くの人と接しているような場合は、
「自分は知らないけど、相手は自分のことを知っている」
みたいなこともあるかもしれません。
「どうもこんにちは」と声をかけられたけど、相手が誰なのかわかりません。
適当にゴマかしつつ、(誰だったかなあ?)と必死で考えるのです。
好意を持ってくれている以上、
コチラもお返ししないと悪いような気がします。
こういうのを心理学用語で、『好意の返報性』というそうですね。
人から好意を受けたら、相手に同じようにお返ししないと悪い気がする。
この心理を利用して、「好きな人に好意を示しましょう」というような「恋愛アドバイス」をする人がいます。
それが本当なら、恋愛は楽でしょう。
世の中、恋愛で悩む人はいなくなります。
いや、心理学にケチをつけているわけではないですよ。
「好意の返報性」というのは、実際にあることです。
さっきの挨拶がいい例ですね。
親しみを示してくれる相手に、そっけなくするのは気が引ける。
そういう心理は確かにあります。
しかし実際は、必ずしも期待どうりにいくわけではありません。
例えば、さっきの恋愛で考えてみましょう。
「好意の返報性」どころか、『一方通行』ばかりになっている人もいます。
「いくら好意を示しても、相手は振り向いてくれない」
と悩んでいる人がいます。
どうしてそうなってしまうのでしょうか?
それは、「好意の返報性」を曲解しているからです。
「返報性」という言葉が、よくないと思う。
「好意」は「好意」です。
「自分がこれだけしてあげているのだから、同じくらい相手も返すべきだ」などというものではないのです。
電車の中で、席を譲る時に「返報性」など考えるでしょうか。
「ありがとう」と言ってもらえれば、それで十分でしょう。
返報性など別に関係なく、誰もが素朴な気持ちで親切にするからこそ、人間社会は成り立っています。
「素朴な人間性」とは、そういうことではないでしょうか。
金銭の貸し借りのような形で、「好意」を考えてはいけない。
お返しばかり期待すると、結局自分のことばかりになって、相手のことを考えることができなくなってしまいます。
別に返ってこようが返ってこまいが、それが相手のためになることなら、それでいいではありませんか。
返報があろうがなかろうが、「親切の価値」は全く変わりません。
しかし、安心してください。
誰かを支えるものは、自分もまた誰かに支えられるものです。
返報など期待しなくても、自然にそうなっていきますよ。
素朴な親切のできる人は、今度は自分が困っている時、思いがけなく人から助けてもらえることでしょう。
・今回のまとめ
いいことは、いいことです。
返報性など、考える必要はありません。
「素朴な人間性」を発揮するだけでいいのです。
あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。
今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。
本書には、それくらいの大きな力があります。
あなたの「バイブル」にしてください。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。