2019年12月10日火曜日

お返しなど求めなくても、誰かを支えるものは、自分もまた誰かに支えられるもの

こんにちは。上村です。


あなたには、こんな経験はないでしょうか。


道を歩いていると、
自分に向かって手を振って挨拶する人がいる。


でも、顔がよくわかりません。

(知り合いかな?)と思って、こっちも手を上げて挨拶します。


しかしその人が挨拶したのは、
自分の「後ろを歩いている人」だったのです。



こういう時って、バツが悪いですよね。

振り上げた手の行き場に困ります。


髪の毛を触って、ゴマかしたりとか。
意味もなく、顔の運動をしたりとか。


普段から多くの人と接しているような場合は、
「自分は知らないけど、相手は自分のことを知っている」
みたいなこともあるかもしれません。


「どうもこんにちは」と声をかけられたけど、相手が誰なのかわかりません。

適当にゴマかしつつ、(誰だったかなあ?)と必死で考えるのです。


好意を持ってくれている以上、
コチラもお返ししないと悪いような気がします。


こういうのを心理学用語で、『好意の返報性』というそうですね。


人から好意を受けたら、相手に同じようにお返ししないと悪い気がする。


この心理を利用して、「好きな人に好意を示しましょう」というような「恋愛アドバイス」をする人がいます。


それが本当なら、恋愛は楽でしょう。

世の中、恋愛で悩む人はいなくなります。


いや、心理学にケチをつけているわけではないですよ。

「好意の返報性」というのは、実際にあることです。


さっきの挨拶がいい例ですね。


親しみを示してくれる相手に、そっけなくするのは気が引ける。
そういう心理は確かにあります。


しかし実際は、必ずしも期待どうりにいくわけではありません。



例えば、さっきの恋愛で考えてみましょう。


「好意の返報性」どころか、『一方通行』ばかりになっている人もいます。


「いくら好意を示しても、相手は振り向いてくれない」
と悩んでいる人がいます。


どうしてそうなってしまうのでしょうか?


それは、「好意の返報性」を曲解しているからです。


「返報性」という言葉が、よくないと思う。

「好意」は「好意」です。


「自分がこれだけしてあげているのだから、同じくらい相手も返すべきだ」などというものではないのです。


電車の中で、席を譲る時に「返報性」など考えるでしょうか。


「ありがとう」と言ってもらえれば、それで十分でしょう。


返報性など別に関係なく、誰もが素朴な気持ちで親切にするからこそ、人間社会は成り立っています。


「素朴な人間性」とは、そういうことではないでしょうか。


金銭の貸し借りのような形で、「好意」を考えてはいけない。


お返しばかり期待すると、結局自分のことばかりになって、相手のことを考えることができなくなってしまいます。


別に返ってこようが返ってこまいが、それが相手のためになることなら、それでいいではありませんか。


返報があろうがなかろうが、「親切の価値」は全く変わりません。


しかし、安心してください。


誰かを支えるものは、自分もまた誰かに支えられるものです。

返報など期待しなくても、自然にそうなっていきますよ。


素朴な親切のできる人は、今度は自分が困っている時、思いがけなく人から助けてもらえることでしょう。



・今回のまとめ
いいことは、いいことです。
返報性など、考える必要はありません。
「素朴な人間性」を発揮するだけでいいのです。





あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。

今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。

本書には、それくらいの大きな力があります。

あなたの「バイブル」にしてください。



あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。

     1.追いかけるのをやめる
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今すぐ、「真理」を知ってください。