こんにちは。上村です。
僕の学生時代は、卒業式は決まって『仰げば尊し』を合唱していました。
「仰げば尊しわが師の恩~♪」
卒業式の情感にピッタリなメロディー。名曲です。
ただ学生時代の僕は、ちょっと「引っかかった部分」があったのです。
出だしの『わが師の恩』の一節。
「わが師の恩はいいけど、この詩はどういう立場で書いたのだろうか?」と。
「生徒の立場で書いたのだろうか、それとも教師の立場か?」
と思ったのです。
生徒の立場で書いたのなら、「先生お世話になりました」という意味ですので、もちろんいいことです。
感謝の気持ちを伝えているのですから。
でも、もし教師の立場で書いたのなら、ちょっと変になりますね。
だって、「わが師の恩」って、当人が言うのはおかしい。
「これだけ世話をしたのだから、恩に感じているよね?」
みたいな感じになってしまう。
あくまでそれは生徒自身が感じることで、当然ですが、押し付けで言わせるものではありません。
例えば、こんなこともありました。
僕が小学生の時、「学校の創立記念日」がありました。
講堂に保護者や先生が集まって、式典が行われました。
在校生が、決められたセリフを言います。
「伝統あるわが校」
「素晴らしい場所で学ぶ僕ら」
みたいなことを、生徒一人一人に割り当てられるのです。
僕にも割り当てられました。
僕の前の生徒が、こう言います。
「校庭のくすの木はきっと見ていただろう」
すると次に僕が言うのです。
「50年のわが校の歩みを」と。
だから何なんだと思いますが(笑)、まあ単なる儀式です。
今から思えば、ばかばかしいような気がするのですね。
セリフがばかばかしいという意味ではなく、そんな「思ってもいないこと」を言わされることがです。
自分でそう思っているならいいのですが、教師が作った言葉をそのまま言っているだけなので。
式典向けのことであって、別に自分の本心でもありません。
自分で思っていることなら、きっと言葉にも心がこもるでしょう。
でも、そうではなかったのです。
だからといって、「この学校は校則がやたらに厳しいし、クラス内にイジワルな子もいる」などと言うわけにもいかない。
そんなことを言ったら、式典が台無しです。(笑)
もちろんそういう意味ではありません。
押し付けられたことではなく、「自分自身がいろいろ迷いながらつかんだものにこそ価値がある」ということが言いたいのです。
素晴らしい学校だったら、多くの人が、誰に何を言われなくても、自然にそう思っているでしょう。
変なところだったら、いくら「素晴らしいと思え」と言われても、そうは思えません。
こういうのは、恋愛や人間関係にもあるでしょう。
気持ちを押し付けようとして失敗することが。
誰しも押し付けられたら嫌なものですし、拒否したくなるもの。
しかし、何とか自分の気持ちを押し付けようとする。
その結果、相手と心の距離を感じてしまうのです。
相手が心を閉ざしたと思うかもしれませんが、この場合はえてして自分の方が心を閉ざしています。
押し付けをやめたら、人間関係はグッとよくなりますよ。
簡単なことですが、でも心がこわばっていると、なかなかそれができません。
愛情はもっと自然なものですね。
もしあなたが、相手を追いかけ回さなくなれば、不思議なことに、相手と気持ちが近くなったように感じるでしょう。
今まで苦労しても気持ちが伝わらなかったのが、自然に伝わることがあります。
それは、無理をやめて「自然」になったから。
追いかけ回して近くなるのではなく、素朴な支え合いの気持ちが人を近づけます。
『愛とは相手に変わることを要求せず、 相手をありのままに受け入れることだ』
ディエゴ・ファブリという人の言葉です。
受け入れるからこそ、提供もできます。
そんな心境になれば、自然に本当の愛情を発揮していけるでしょう。
・今回のまとめ
愛情は自然のもの。
押し付けでなく、支え合いだから。
素朴な気持ちは、どんどん伝わっていくでしょう。
「愛される自分を大胆に意識すること」
そうすれば、不思議なほど、愛されるようになります。
その方法を書いたのが本書です。
愛された後のことを大胆に意識すると、今から魔術的に愛されるようになる、秘密の愛され術
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。