こんにちは。上村です。
僕の学生時代は、「学校が荒れていた時代」でした。
生徒も先生も、ピリピリした感じ。
当時は、頻繁に「学年集会」のようなものがありました。
(今もあると思いますが)
「集会」というよりは、「先生がガミガミ言う場」ですね。
「服装が乱れている」
「静かにしろ」
「あくびするな」
「遅刻するな」
「ニヤニヤ笑うな」
「歯を磨け」
みたいな。(笑)
まあそんな感じです。
確かに、規則を守らない生徒もいましたが、
全体から見れば一部。
大多数の生徒は、普通なのです。
(素行の悪い人だけに、叱ればいいのに)
と思ったもの。
それに、「あくびをするな」と言われても、
生理現象だから仕方がありませんね。
あくびは、「眠い時」「退屈な時」もそうですが、「緊張状態の時」にも出るらしい。
すべて、この集会の状態を表しています。(笑)
それはともかく、生徒にとっては(僕にとっては)、「おもしろくない時間」です。
先生の話の内容など、さっぱり覚えていません。
そんな中にあって、一つ「印象に残った話」があるのです。
「ある先生の話」です。
それはこんな内容。
その先生は、機械を分解するのが趣味だそうです。
ある時、「目覚まし時計」(だったと思います)を分解したそうです。
そして、また元に戻す。
元に戻すなら、分解する必要はないように思いますが、そういうことが好きなのですね。
で、組み立て直したのですが、「一個ネジが余った」そうです。
試しにスイッチを入れてみると、時計は、問題なく動きました。
つまりこのネジは、
「あってもなくてもいいもの」
だったのです。
「こんなネジのような存在になってはいけないよ」
とその先生は言う。
「全体にとって必要な人になれ」
ということですね。
確かにそれはそう。
でも、後から考えてみて、疑問が湧いてきたのです。
『余ったネジが、どうして‘いらないもの’だとわかるのだろうか?』
と。
今は、「たまたま時計が動いているだけ」かもしれません。
じわじわと「そのネジを失った影響」が出てくるかもしれません。
そのうち止まるかもしれない。
時計の寿命は、確実に短くなると思われます。
「いる・いらないの判断」など、短期的なことでわかるはずもありません。
そのネジは、実は「欠かせない役割」を果たしているかもしれないのです。
そう考えれば、
「こんなネジのような人間になるな」ではなく、
「こんなネジのような人間になれ」という言い方もできます。
僕の考えは、ひねくれているでしょうか?
いえ、決してそんなことはないのです。
「自分は必要とされていない」と悩んでいる人がいます。
しかし、それがいかに間違ったことであるかは、「ネジの話」でおわかりいただけると思う。
「自分は必要とされていない」と思う人は、視野が極めて限定されています。
過去に縛られて、身動きができなくなっている状態と言えるかもしれません。
人生はそうではありませんね。
いつか必ず、必要な環境で、必要なことをする時がきます。
それは決して派手なことではなく、人目にもつかないことかもしれませんが、あなたなりの使命です。
自分が欠けてしまったら、環境はきっとバランスを崩してしまうに違いないのです。
「出遅れ感」「余りもの感」
そんな感覚に悩んでいる人はいませんか?
実はそれは、「未来の大きなエネルギー」になります。
「余りもの」などということは決してなく、むしろ「必要不可欠のもの」なのです。
「余ったネジの価値」は、今はわからなくとも、未来にわかる時がきます。
自分を、限られた視野で決め付けるのは、考えてみれば不遜な行為です。
不必要な人など、この世の中に決していません。
すべてが必要であり、すべての経験に意味があります。
悩みの種もたくさんあるかもしれませんが、「希望の種」はもっとたくさんあります。
いつでも、人生はそれを用意してくれることでしょう。
・今回のまとめ
自分には「欠かせない役割」があります。
必ず、必要な環境で、必要なことをする時がきます。
「希望」はいつでもあります。
あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。
今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。
本書には、それくらいの大きな力があります。
あなたの「バイブル」にしてください。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。