2018年11月21日水曜日

「愛の憲法」の生かし方(政治の話ではありません)

こんにちは。上村です。


ずっと以前ですが、本屋さんで立ち読みをしていました。


何の本を見ていたかというと・・・
「日本国憲法」です。


立ち読みする人はたくさんいます。
でも、「日本国憲法」を立ち読みしている人はあまりいないかもしれない。


特に理由はありません。
ただ何となくです。


僕は一応、学生時代は、法学部だったのです。


しかしながら、今まで憲法などあまり読んだことがなかった。


憲法くらいは、目を通しておいた方がいいのではと思ったのです。
「それで立ち読みか」

というツッコミはなしでお願いします。


もちろん、立ち読みですから、ざっと見ていました。

憲法の中にある、こんな条文に目が行きました。


憲法第十三条
『すべて国民は、個人として尊重される。・・・』


日本は民主主義国家ですから、当然ですね。

当たり前すぎるほど当たり前です。


しかし、憲法では当たり前ですが、個人の私生活では、必ずしもそうでないこともあるかもしれません。


あからさまな人権侵害でなくても、個人によっては、深く傷つく出来事に遭遇することもあります。


例えば会社で、上司から仕事のことで注意されます。

中には厳しい上司もいるでしょう。

プライドがズタズタになるような叱り方をする人もいるかもしれない。


「そこまで言わなくてもいいだろう」

みたいな。


かつて、全員の前で一人の部下を怒鳴り散らしていた上司がいましたが、こういう人はきっと憲法を読んだことがないのでしょう。(笑)


まあ、憲法を読んだ読まないの問題ではありませんが。


学校でもそうですね。


僕は中学生の時、クラスメートの前で、ある教師から叩かれた経験があります。

教科書を忘れたからです。


教科書を忘れたのは悪いことかもしれませんが、いつも忘れていたわけではなく、その時たまたまだったのです。


普段は、しょっちゅう教科書を忘れた生徒がいても、何も言わないのです。

なぜかその時だけ、烈火のごとく怒った。


たまたま、その教師の機嫌が悪かったのでしょう。

機嫌で態度の変わる教師ほど、やっかいなものはありません。


あるいは「一罰百戒だ」と思ったのかもしれませんが、「一罰」にされた方はたまったものではありません。(一罰されるような罪でもないし)


あの時は、叩かれた痛さよりも、恥ずかしさで、顔から火が出るようだった。


当時、同じクラスに好きな女の子がいたのですが、当然その子も見ています。

彼女の前で格好の悪いところを見られてしまったのです。


これは明らかに、僕に対する人権侵害です。
(冗談ではなく本当に)

もちろん、昔の話ですし、もうその教師に対してどうということもありません。
(というか思い出したくもない)


でも、それを忘れられず、心の痛みにしてしまうような人もいるでしょう。


そういえば、以前テレビで、「学生バレーボール大会」を見たことがあります。

作戦タイムの時、監督が凄まじい形相(おそらく)で、選手を怒鳴っていました。


マイクで言葉が拾われていたのですが、あれは注意ではなく、単なる脅しのように聞こえました。


選手はどう思っていたのかわかりませんが、普通に考えて相当傷つくでしょう。

練習ではもっとひどいことを言っているかもしれません。


「スポーツだから厳しくて当然」という意見もありますが、本当にそうでしょうか?

「厳しさ」と「粗暴」は違います。


もちろん、一瞬だけを見てその監督のすべてを判断しているわけではありません。

ただ、人が人を怒鳴ったり、ののしったりするということは、学校だろうがスポーツだろうが、いいことであるはずがないと思うのです。


厳しさと粗暴を、勘違いしてはいけない。


いっそのこと憲法違反で訴えてもいいかもしれませんが、そんなことで訴えた話はあまり聞かない。


いちいち気にしているわけにもいかないからです。


ひょっとして自分自身も、悪気はなくても誰かに「憲法違反」をしていることもあるかもしれない。


「憲法」とは、その国の「あるべき姿」ですね。

なので、あるべき姿と、実際の姿が異なる場合があります。


そして、個人の中にも、この「憲法のようなもの」があります。

自分の理想像とか、願望ですね。


「こうあるべき自分」「こうありたい自分」
というのがあるでしょう。


現実の自分が、そこから程遠いと、自己嫌悪に陥ることもあります。


しかしです。

憲法の本質とは、何でしょうか?

それは、少なくとも民主主義国家においては、「国民の自由」を認めるものです。


国民を縛り付けるものではなく、「国民の自由を保証するもの」なのです。


個人も同じですね。


「理想」というものは、自分を縛るものでありません。

自分に「自由を与えるもの」です。


愛情も同じです。

それは、束縛ではなく、自由です。


相手の意思を認め、自分の意思を認める。

そうすることで、お互いが、一個の人格として、お互いを支え合うことができます。


束縛し合っていても、支え合うことはできません。

愛情とは、束縛ではなく、いっそうの「自由」です。



・今回のまとめ
お互いが、自由を発揮し合う。
その上で、結びつくのが、真の関係です。
そこから、束縛ではなく、「支え合い」が生まれます。





あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。

今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。

本書には、それくらいの大きな力があります。

あなたの「バイブル」にしてください。



あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。

     1.追いかけるのをやめる
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今すぐ、「真理」を知ってください。