こんにちは。上村です。
突然ですが、こんな「童話(寓話)」を考えてみました。
題して、
『歌好きな鳥が、歌おうとしなかった話』
ある時、「動物の紅白歌合戦」がありました。
いろいろな動物が出場し、歌を競い合う。
そこに出場した一羽の鳥。
鳥は、「最後に歌いたい」と思った。
まあ年末の紅白でも、最後に歌うのは特別感がありますからね。
その鳥は、「大御所になりたい願望」があったのです。
「僕は鳥なので、トリ(最後)で歌いたい」
「そんなこと言わないで、今歌ってください」
「でも、トリで歌いたいのです」
「そんなにトリ乱さないで」
スタッフと口論の末、結局その鳥はあきらめました。
最後で歌いたい思いは叶えられなかったのです。
鳥は、トリあえずその場で歌いました。
ここで終わったら、単なるダジャレになりますね。
笑点なら、座布団全部とられて、羽織まで脱がされるくらいのレベルです。
でも、話はここからが重要です。
歌合戦が終了した後、「観客アンケート」がありました。
「どの歌が一番よかったか」を、観客全員に尋ねました。
すると、別に「順番は関係なかった」のです。
最後に歌ったからといって、特に評価がよかったわけでもない。
鳥は、その「アンケート結果のコピー」をもらいました。
自分が駄々をこねたことを反省したのです。
高慢になった時、自分に対しての「いましめ」として、いつもそのアンケート結果をトリ出して見るようにしたのです。
トリだけに、トリ出して。
最後までダジャレから抜け出せませんでしたが、言いたいことは、とても大切なこと。
鳥さんの行動ですね。
主人公の鳥は、「最後に歌いたいと」思いました。
でも、ダメと言われた。
「どうしても最後に歌いたい」とトリ乱したのです。
トリだからトリ乱したのではなく、その鳥の「個人的な価値観」だった。
でも、よく考えてみましょう。
歌が好きで歌うなら、別に順番などどちらでもいいですよね。
自分の歌を聴いてもらえることに、喜びを感じるはずです。
最初でも、真ん中でも、最後でも、どこだっていいはず。
にもかかわらず、細部の「どうでもいいこと」にこだわってしまった。
以上は僕が考えた寓話ですが、こういうことって、あなたの日常でもありませんか?
「不当な扱いをされている」と感じること。
他人と比較して、思う時があるかもしれません。
実際に不当な扱いをされている場合もあるかもしれません。
でも、自分自身の自信のなさから、「軽く見られた」と思い込むことも多いのです。
また、「軽く扱われた」「馬鹿にされた」と思うほど、不当なことがやってくる場合もあります。
自分の失意が、さらに不当なことを呼び寄せたりします。
そんな時は、「本質」を思い出すことが大切です。
「一番大切なことは何か」です。
「恋愛はこうあるべきだ」
「人間関係はこうあるべきだ」
「恋人はこうするべきだ」
「友人はこうするべきだ」
「自分に対してこうすべきだ」
と「他人はこうするべきだ症候群」にかかってしまうと、本質を見失います。
相手にも意思があり、考え方があり、人それぞれ表現の仕方が違うことに、気持ちがいかなくなってしまう。
独裁者のような考え方になって、独裁者の末路が哀れなように、その関係も哀れなものになっていきます。
自分や他人を傷つけるような行動ではなく、「本質に沿った行動」をすることが重要です。
ややこしく考えすぎて、素朴に大切なことを忘れている場合があります。
自分で勝手にとらわれている「他人はこうするべきだ症候群」を捨てよう。
そうすれば、心が軽くなって、本来の自分をしっかり発揮していけることでしょう。
結局それが、環境をよくしていきます。
・今回のまとめ
自分で勝手にとらわれている「他人はこうするべきだ症候群」を捨てよう。
そうすれば、心の束縛がとれ、「本来の自分」が顔を出します。
その自分こそ、環境をいい方向に進めていく力があります。
「愛される自分を大胆に意識すること」
そうすれば、不思議なほど、愛されるようになります。
その方法を書いたのが本書です。
愛された後のことを大胆に意識すると、今から魔術的に愛されるようになる、秘密の愛され術
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。