こんにちは。上村です。
「無愛想な人」というのは、いるものですね。
あなたの周りにも、いるのではないでしょうか。
職場で、「おはようございます」と声をかけて、ムスッとしている人とか。
あまり印象は良くありません。
でも、どうしてそんなに無愛想なのか?
原因はいろいろ考えられます。
まず、「本当に無愛想な場合」ですね。
「余の辞書に社交という文字はない」
みたいな感じ。
ただ、こういう人は比較的少数だと思います。
あるいは、「慣れ」というのもありますね。
職場でも、年長者になると、挨拶されるのが当たり前になってくる。
すると無愛想になる人がいます。
もちろんそうならない人もいます。
その人の心がけの問題ですね。
ところで、もう一つ原因があります。
「人見知り」する場合ですね。
これは意外に多い。
恥ずかしがり屋で、しっかり返事ができないのです。
ところで僕は、「挨拶はちゃんとしよう」みたいな話がしたいわけではないのです。
皆さんも、そんな話は聞きたくないでしょう。
僕も聞きたくないです。(笑)
挨拶も愛想も大切でしょうが、もっと大切なのは「心の機嫌」だと思います。
大切なのは「内面」ですね。
つまり「心の機嫌」がよければいいのです。
これが本当の意味の「愛想よさ」だと、僕は思う。
人の気持ちをつかもうと愛想ばかり気にしても、あまりうまくいきません。
人間ですから、いろいろな表情があっていいと思う。
おもしろくもないのに笑っているわけにもいかないでしょう。
外面は、内面の反映ではないでしょうか。
印象は内面によってずいぶん変わります。
顔は同じですが、雰囲気は変わるのです。
だから、結論的にはこう。
「常に機嫌よくいこう」ということですね。
「顔」の話ではなく、「内面の話」です。
例えば、恋愛でよくありますよね。
焦って、相手を追いかけ回すのです。
いっそう相手が離れていくことがあります。
そういう人は、追いかけるのに疲れていても、苦痛に感じていても、それをやめることがきないのです。
内面の「落ち着き」をなくした証拠です。
むやみやたらに、ホメたり、ケナしたりする人も同じです。
ホメ方の極意などというものがありますが、そんなことをいくらしても無駄です。
内面がついていっていないからです。
もちろん心から称賛しているのならいいのですが、自分の印象をよくしたいだけなら、あまり意味がありません。
あるいは、ケナすことも同じです。
これは形を変えて、自分に注目を集めたがっています。
もちろん、ケナされて嬉しい人はいないでしょうから、これほど無駄な行為はないでしょう。
作為的なことはやめて、もっと自分が前向きになる考え方をすべきです。
相手の機嫌ではなく、「自分の機嫌」ですね。
周囲がどうであれ、自分の機嫌がよければいいではありませんか。
もちろんこれは、自分さえよければいいという意味ではありません。
「自分から光を発していく」という意味です。
他人に求めるのではなく、「自分自身」に求める。
そうすれば、あくせくしなくても、自然に必要な人と打ち解けていくでしょう。
・今回のまとめ
「真の愛想」とは、「内面」です。
作為的なことはやめて、自分が前向きになる考え方をすることが大切です。
あなたが、「自分は愛の弱者だ」と思うようなことがあれば、本書はとても有益なものになるでしょう。
今までの思い通りにならない状況が、きっと一変するはずです。
本書には、それくらいの大きな力があります。
あなたの「バイブル」にしてください。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
2.「途方もない愛される力」を実践する
今すぐ、「真理」を知ってください。